著名人インタビュー


西宮に暮らして40年。100周年の節目に立ち会えて嬉しい。
©阪神タイガース
阪神タイガースオーナー付顧問 岡田 彰布さん
- 西宮市の印象を教えてください。
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ちょうどええわな。海も山もあって、上の方はゴルフ場もあるし。高級すぎるわけでもないし、でも治安はええし。いろんな人が住みやすいことに間違いはないな。西宮市に来るまではずっと大阪の真ん中に住んどったから、静かなところもええな。大阪から西宮市に移ったんは優勝した翌年の1986年3月やから、もう40年近くになるなあ。嫁さんの親戚が近くに住んどったから、それが西宮市を選んだきっかけやな。優勝前にもう土地は買ってたけど、当時は周りに何もなかったな。土地も余ってた時やった。イノシシの親子も毎日来とったな。今でもたまに見るけど、行儀よく横断歩道をわたってるよ(笑)。甲子園球場にも車で20~30分くらいで行けるしな。あとはゴルフ場が近いのがいいな。
- 西宮市での思い出はありますか。
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新人の1年目は寮に入っとったから、甲子園の周りで遊ぶことが多かったな。当時も甲子園球場の周りには遊べるところが結構あった。ボウリング場とか、打ちっぱなしのゴルフ場とか。9ホールのショートコースもあって、当時の先輩に連れて行ってもらってからは、オフになったらしょっちゅう練習しに行っとった。阪神パークもまだあって、サイン会があったり、レオポンと一緒に写真撮って月刊タイガースの表紙にもなったな。シーズン中は時間がとれへんから、子供とどこかに行くっていうのはなかなかできんかったな。2軍で指導してた時は夙川で子供を車からおろして、そこから鳴尾浜に向かう、っていうパターンやった。食事に出かける時は大体夙川とか苦楽園の周りが多かったな。あとはえべっさんにも毎年行っとったな。チームでは必勝祈願で、プライベートでも1月の十日えびすにはよく行って、ゲン担ぎで笹買ったりしてたな。
- 甲子園球場にまつわる思い出を聞かせてください。
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高校生の時の甲子園での試合前は、甲陽学院高校のグラウンドで練習して、そこから歩いて甲子園球場に行っとったのを覚えてるわ。選手時代もそうやけど、1年の半分以上を甲子園球場に行ってたから、西宮市内を甲子園球場まで車で行き帰りすることが日常生活のそのままで当たり前のような暮らしやった。人に乗せてもらうより、自分で運転するのが好きやったな。どうしても一人になる時間が欲しかったりもするし。だから車での行き帰りの時間っていうのは案外大事な時間やったな。負けた日は変な道行ったり、どうしても勝ちたい時はこの道、みたいな願掛けもあったりな。気晴らしにもなるしな。阪神タイガースで優勝ができたのはやっぱり大きいわな。選手としても監督としても日本一を達成できて良かったと思うよ。
- 西宮市100周年についてメッセージをお願いします。
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そこそこ都会で、でもローカルな感じもあって。海も山も甲子園もゴルフ場もある。甲子園の駅前やったり、まちもどんどんきれいになっていってるし、住みやすいまちに選ばれたり、良くなっていってるのは確かやから。継続やからな、結局は。100年前の最初から見てるわけじゃないから、偉そうなことは言えんけどな(笑)。でも住んでるまちが100周年を迎えて、その節目に関われるってのは嬉しいことやな。
- これからについて。
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とりあえずはゆっくりするかな。もう子供も家出てるから、嫁さんと二人で。車が運転できるうちに嫁さんとご飯食べに行ったりはしたいわな。そのぐらいやな、今は。

Profile | おかだ あきのぶ
1957(昭和32)年11月25日生まれ、大阪府出身。北陽高、早稲田大から1979年ドラフト1位で阪神入団。選手時代は1985年に、阪神監督としては復帰した2023年に日本一に輝いた。西宮市内の酒蔵が運営する「酒鍋」をよく食べに行っていた。