思い出めぐり


私の思い出
歩いて、眺めて
立ち寄って
にしのみや。
小学一年生の時に移り住み、ご結婚、そしてご出産された現在も西宮にお住まいの井戸川射子さん。西宮と縁が深い井戸川さんの作品には、実在する名所が数多く登場しています。そんな井戸川さんのお気に入りのスポットは?また、そこにどんな思い出があるのか、井戸川さんと一緒に記憶をたどる旅に出てみました。
思い出めぐり1 西宮浜
桜に、紅葉に。自然の美しさと子供たちの笑顔に癒されて。

最初に向かったのは、西宮浜。この辺りは阪神・淡路大震災後に開発されたまちで、たくさんのアート作品が設置されていることや「海の駅」の一つでもある、新西宮ヨットハーバーがあることでも知られています。車の中で井戸川さんはさっそく思い出を語ってくれました。「西宮浜は大人になってからの思い出が多い場所です。ヨットハーバーのすぐそばに桜並木とアキニレの並木があるのですが、お花見や紅葉の季節になると子供たちを連れて訪れます。近くの芝生でちょっとしたピクニック気分を楽しんだりしています。お花見シーズンのにぎやかな雰囲気も良いですが、紅葉の頃の少し落ち着いた雰囲気も良い。子供たちと一緒に色づいた葉っぱを集めたり、走り回るその背中を追いかけたり、小さくても体力は底無しなのでたいへんですが、その屈託のない笑顔を見ていると心が癒されます。」そんなお話を伺っていると、あっという間にヨットハーバーにたどり着きました。
ヨットハーバーにあるレストランのテラス席に座り、なぜ井戸川さんの作品には西宮のスポットが数多く登場するのか尋ねました。「私の文章の書き方として、いろんな時期があって。実際に目にしたものを書きたい時期には、取材という形で西宮のさまざまな場所を訪れるので必然的に実在するスポットが登場します。ただ、今はパソコンの前に座れば文章が書ける時期なので自宅で執筆することが多いですね。でも、籠りっきりにならないよう一日一回は外出するように心がけています。まあ、それには毎日の買い物も含まれますけど(笑)。次は近くの貝類館に行きましょうか。この流れは西宮浜の定番コースです。」そう言うと井戸川さんは、サッと席を立ちました。


思い出めぐり2 貝類館
長い時間をかけてたどり着いた貝殻にロマンを感じながら。


井戸川さんお気に入りの並木道を抜けた先にヨットの帆をモチーフにした建物が見えてきました。全国でも珍しい貝類に特化した展示を行っている貝類館です。「この貝類館は、建築家の安藤忠雄さんが設計したもの。実は、私も最初はこの建物見たさに足を運びました。コンクリートとガラスをうまく組み合わせた建築美にすっかり魅せられましたね。展示物も、日本はもちろん、世界中の貝が展示されていてとても見応えがあります。それらの貝がどんな長い年月をかけて、この場所にたどり着いたのか考えるとロマンを感じます。子供たちはというと、それよりも中庭に行きたくて仕方がないみたいですが。」
そう言って井戸川さんが指さす中庭には青いヨットの姿が。海洋冒険家の堀江謙一さんが縦まわり世界一周で使った「マーメイド4世号」です。「乗り物が好きな子供たちにとって、こんなに近くでヨットを見られる機会は無いのでいつも夢中です。子供たちが貝の美しさに魅了されるのは、まだまだ時間がかかるみたいですね。」そんなことを話しながらも、お子さんのお土産にするのか、井戸川さんは入館者に一つずつ進呈される貝殻をじっくり選んでいました。

思い出めぐり3 甲子園浜
海と砂浜、そして遠景の山並。西宮らしさが詰まったこの場所で。

車で東に走り、甲子園浜へ。セーリングヨットが気持ち良さそうに海上を走っています。「甲子園浜は子供の頃に両親と訪れていた場所です。近くの浜甲子園運動公園にある帆船型の大型遊具で遊んだり、貝拾いをしたり。懐かしい思い出がたくさんあります。一方で、小説でも取り上げたことがありますが、夏場ボロボロに弱った状態で漂う魚や、砂浜に打ち上げられたクラゲの姿が見られるなど、私にとって生と死を感じさせる場所でもあります。そんな思い入れのある場所なので、以前プロフィール写真を撮影する機会があった時、迷うことなくこの場所での撮影をお願いしました。海と砂浜が広がり山並も見えるこの場所なら良い写真を撮ってもらえると思ったからです。実際、素敵な写真ばかりで、お気に入りの一枚を選ぶのに苦労したくらい。今日訪れてみて、改めて甲子園浜って、本当に西宮らしさが詰まった場所だなと感じています。」
思い出めぐり4 武庫川
武庫川にかかる橋が繋いでくれる、大好きだった祖父との記憶。
武庫川沿いを北に向けて車で走ります。井戸川さんにとって、この辺りは特におじい様との記憶が色濃く残る場所だそうです。「小さい頃、大好きだった祖父と甲武橋のあたりまで新幹線を見に出かけました。動物の形をした遊具に腰かけて、次の新幹線が来るまで待っていたことを覚えています。『新幹線を見に行く』という今改めて考えると不思議なレジャーですが、大好きな祖父と出かけられるとあって、私はとても楽しみにしていました。」
到着した甲武橋で、井戸川さんは昔のように新幹線を眺めながら当時の記憶を頼りに「あの辺りに腰をかけていた動物の形をした遊具があったはずだけど、もう無くなったのかな…」と目を凝らして探していました。甲武橋を後にして、最後のスポットである武庫大橋を目指します。


武庫大橋は日本百名橋に選ばれ、土木学会選奨土木遺産にも認定された開腹アーチ橋です。到着すると井戸川さんは、引き続きおじい様との思い出を話してくれました。
「この武庫大橋をはじめ、武庫川にはたくさんの橋が架かっていますよね。高校三年生の時に祖父が病気になって近くの病院に入院した時は、橋を渡ってお見舞いに行っていました。次第に弱っていく祖父の姿を見るのはとても辛く、泣きながら帰ったこともあります。その時に見た夕陽と、その夕陽に照らされてキラキラと輝く武庫川の川面の眩しさは、今でも鮮明に覚えています。私が作家になったきっかけは、亡くなった祖父のことを忘れないように文章に書き留めたことがきっかけです。だから、武庫川は私にとって悲しい場所であり、ある意味、始まりの場所でもあります。」
豊かな環境、この西宮の地を未来のみやっこへ。今できることを。
今日は久しぶりに武庫川で新幹線も眺められましたし、良い気分転換になりました。改めて、西宮は自然が豊かで、長く暮らしている私も知らないようなスポットがたくさんあると感じました。今日は足を運べませんでしたが、西宮の北部もとても気になります。子供たちがもう少し大きくなったら、武田尾の廃線跡ハイキングにも行きたいですね。今回、西宮市制100周年ということですが、この西宮の豊かな環境を次の、さらには、もっと先の世代にまで受け継いでほしいと願います。そして、その環境の中で、これからのみやっこたちには伸び伸びと育ってほしい。それが、私が思い描く大好きな西宮の未来図です。そのためにも大人の私たちが、その魅力を守るための取り組みを続けていかなければいけませんね。」
Profile | いどがわ いこ

1987年生まれ、西宮市在住。関西学院大学社会学部を卒業後、高等学校の国語教師として勤務する傍ら、詩や小説の執筆を始める。第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行(のち青土社)。2019年、同詩集で第24回中原中也賞を受賞。2021年、小説集『ここはとても速い川』(講談社)で第43回野間文芸新人賞受賞。2023年、『この世の喜びよ』(講談社)で第168回芥川賞受賞。

西宮市貝類館
約10万点の標本を所蔵する、貝類専門の博物館。建築家の安藤忠雄氏が設計した建物の外観はヨットの帆をイメージし、館内は海の中を思わせるブルーで統一されています。中庭には、単独無寄港太平洋横断を達成した、堀江謙一氏のマーメイド4世号を展示。展示室では西宮の自然から世界の貝に至る16のテーマに沿って、約2,000種・5,000点の標本が展示されています。
〒662-0934 西宮市西宮浜4-13-4